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手からの“気”による治療

(1) 体で“気”が 流れている部分は、緩んでおり生命活動が活発(元気な状態)です。生命活動が活発な部分では、細胞が生き生きとして楽しく働き、新陳代謝や免疫作用が盛んに行われます。逆に、“気”が通っていない部分や滞っている部分は、緊張して生命活動が不活発(不具合な状態)です。不具合があっても、実生活に支障がない程度の短時間のうちに、自分の生命力で不具合を解消できれば健康です(このような不具合は、生きていることに伴う揺動の現れで、何も気にする必要はないものです)。

(2) 手のひらを自分や他のひとの不具合な部分に近づけて、手から放射される“気”により治療する(元気がない状態から元気な状態へ戻す)のが手当療法です。不具合な部分に“気”が入り流れると、生命活動が活発になり元気になります。気が流れるとその部分が緩むという表現をすることがありますが、動きが悪く固くなっている部分が柔らかくなり、流れが滞っている部分が流れるようになり、本来の柔軟で自然な動きを取り戻すというイメージです。この作用は、筋肉や内臓などの組織のレベルだけでなく、細胞や遺伝子などのミクロなレベルでも効くように思えます。

(3) なぜそうなるかは手当治療の根幹ですが、その理由やメカニズムは分かりません。「そういうこともあるかも知れない」として試してみるのが良いようです。これはちょうど「音楽を聴くと楽しいのはなぜか」という疑問に対して、明確な理由やメカニズムは分からないことに似ています。音楽を聴いて楽しい人もいれば楽しくない人もいることや、いつ聴いても楽しいわけではないということも似ています(手当が効く人もいるし効かない人もいる、いつも手当が同じように効くわけではない)。楽しいかもしれないので音楽を聴いてみようというスタンスが良いようです。

(4) 不具合部分を治療するとき、気の送り手はその手のひらに熱感などの変化を感じることがあるようです。感覚の鋭いひとは、不具合部分に手を近づけただけでこのような感覚(「ひびき」とも言われます)を感じることができ、不具合部分を探す(診断する)ことにも使われることがあるようです。

(5) 手から体への“気”は、接触しているよりも少し離した(場所にもよりますが、1cmから数センチ程度離す)方が気の送受を実感しやすいようです(“気”の送り手も受け手も)。経験的には、気を送りたい部分(患部)の近くを軽く触れたのちに、手のひらを少し離して気を送るのが効果的な感じがします。手を少し離すことにより、物理的な接触感がなくなるため、微妙な気の存在が実感されます。ただし、実際には実感がなくても”気”の送受は行われるようです。不具合の部分が狭い範囲に限られているような場合には、手のひらよりも、人差し指と中指と薬指の3本の指先を使うほうが、良く効く場合もあります。どちらが効果的かは、実際にやってみれば、自分の手のひらや指が教えてくれます。

(6) “気”を出して治療を行う時、必ず治してやろうという強い意念をもたず、「治るものなら治ると良いね」程度の緩い意念で行うのが良いようです。強い意念は自己執着から生じることが多く、自己執着は手当の治療効果を減じます。意念は穏やかで純であることが望ましいです。「治りつつある状況」や「治った時の状況」を、心の中で見たり、思ったりするのも有効です。手当治療をするときは手当に専念することが必要です。雑談しながらやテレビなどを見ながらでは、意念が希薄で気の流れも弱く、手当の治療効果も小さいようです。

(7) 意念は、脳で生じるのではなく、体全体から生じると意識するのが良いようです。つまり、全ての細胞が揃って同じ意念をもつと意識します。実際に体のすべての細胞の意念の方向が揃った時には、通常では考えられないほどの力を持つ気の流れ(フロー)が生じるのではないかと思います。これは、集団が心を一つにすると非日常的なことをやり遂げるという「燃える集団」(天外伺朗、宇宙の根っこにつながる生き方)や、個人が高度に集中すると非日常的なことをやり遂げる「ゾーン」や「フロー」の状態(呼吸をふわっと整える 片山洋次郎)に類似しています。意念が宇宙全体で生じていると意識できれば、いわゆる奇跡を起こすことができるのかもしれません。

(8) 治療の経過は、坂を登るような連続的なものではなく、階段を登るような不連続な感じです。ある状態からからある状態へ一瞬で変化するように見えます。手を当てても何も変わったことはないような感じがしても、ふと気がつくと変化していることに気づくといった感じです。この変化は、氷から水への相転移のような不連続な状態の変化に類似しています。また、量子力学で言うエネルギーの不連続性に似ているようにも思えます。“気”が係わることは、不連続であることが多いようです。例えば、気功の上達は連続的ではなく、練習を続けていると、あるとき急に次のレベルに上がるという方が多いようです。また、 “気“の放射を実験的に研究した佐々木茂美氏は、気は不連続なパルスのように放射されると述べています。

(9) どのくらい手当をすれば軽快、治癒するかは、ケースバイケースです。前述の「手のひら療治」の江口俊博氏は、「気合いやマジナイと違いますから、タッタ一度やれば治るといったようなものではありませぬ。」、「一日四十分位お手をやる。十分、十五分 ――少しづつやるのは割に効少し。」と述べています。十分程度で明らかに効く場合もあれば、数十分程度では効果がわからない場合もあります。総じて、傷や火傷、腹痛などの急性のものには直ぐ効き、慢性の疾患には時間がかかる(何度も手当する必要がある)ように思います。

(10) 手当療法を試みても、思ったほど軽快、治癒しないこともありますが、より悪くなることはまずありません。不具合の原因が、本人の不摂生など生活習慣にある場合は、本人が自覚して生活習慣を改善しない限り、一時的に効果はあっても、また再発します。

(11) “気”は体の表面どこからでも入るので、不具合のある場合は、その部分に手を近づけて治療しますが、体の中遠くには届かない気がします(せいぜい10cmくらいか)。一方、“気”は、特にツボあるいはチャクラと呼ばれる場所から入りやすく、入ったのちは経絡に沿って体全体に伝わるようです。 “気”が入った(流れる)場所は緩む(リラックスする)ので、これにより体全体が元気になります。特に百会(頭のてっぺん)や湧泉(足の裏)に気をいれると全身が緩むようです。体に目だった不具合がなくても、ツボあるいはチャクラに気を送ることは健康増進に役立ちます。

(12) 上記(11)は一般的な東洋医学の見方ですが、体の各部分は体全体を内包している(体の各部分は体全体の情報を持っている)との見方に立てば、体のどの部分でも手当すれば、他の部分の不具合が癒されることになります。「部分に全体が内在する」という考え方は、量子力学の研究者ボームの唱えたホログラム宇宙理論(仮説)と類似した見方です。「部分に全体が内在する」という考え方は、もうすこしイメージしやすい言い方をすれば、「全ての部分は有機的に繋がって全体を構成している」と同じことのように思えます。実際、リラックスした姿勢で手当ができる場所に手当をすれば、体のどの部分の不具合も癒やされることもあるように思えます。どこに手を当てるかよりも、気の送り手がリラックスして受け手に手を当てられることの方が重要なのかも知れません。

(13) これまで述べてきたように、量子力学と“気”の概念は類似点があるようです。“気”は微粒子や波動と考えられることが多く、量子も“気”も微視的な捉え方をするという点で似ています。量子力学の世界にも“気”の世界にも、常識的には想像しづらい不思議な現象があるという点も共通しています。(5)では“気”の療法が有効な距離についての筆者の感触を示していますが、一部の報告(例えば「気の発見」の中の望月勇氏の話)では遠く離れた遠隔治療も可能なことが述べられています。これも量子力学で扱われる量子もつれ(距離に関係なく瞬時に情報が伝わる)に関わるのかもしれません。現実には、近接の手当療法は多くの人が可能なようですが、遠隔治療は限られた人しかできないようです。「100mを10秒で走ることのできる人は極めて限られている」と同様な、個人的な能力の問題なのかもしれません。これと類似した現象に、「祈り」による遠隔治療の報告(人は何のために「祈る」のか 村上和雄/棚次正和)がありますが、「手当」による遠隔治療も同様な現象のように思えます。量子力学は、私たちの常識と異なり、全く何もない状態であるはずの真空に、エネルギーは存在することを示しています。この不思議なエネルギーの場から初期宇宙は生じたとも考えられています。田坂広志氏は、仮説として、この真空のエネルギーの中に、物質も意識(意念)もエネルギーとして組み込まれ、現実の世界と作用すると説明しています。気の作用もこのような仮説の延長上にあるのかもしれません。


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